橘湾岸スーパーマラニック273(W部門) ~ リタイヤするための三つの方法 ~
2011年10月7日~9日
3日目の朝を迎えて、原城を過ぎ213kmの堂崎エイドに行く途中、残り70kmを14時間以内で完走は難しいと判断して、大会本部にリタイアを告げた。
結果論になるが今回の敗因は
1)月が出ていた
2)靴下が合わなかった
3)完走に執着しすぎた
である。
1)月が出ていた
昨年春の173kmの大会は今回のコースの前半部にあたるが、午前6時のアーリースタートをしたのに対し、今回は6時間遅れての午後12時スタートとなったため、見える景色が違った。小浜中継基地(173km地点)からの後半部は100kmの部のコースになる。21時スタートは5,6人だったが途中メールしている間に他の人たちと離れてしまった。このコースを走るのは今回で5回目になるし基本的には海岸沿いの国道を道なりに走るだけなので、コース図は必要ないだろうとリュックの奥にしまった。
ところが月明かりのせいで見える景色がまったく違っていた。1時間で南串山の峠にさしかかり再び海岸沿いに出たところがいくら走っても着かなかった。40分ほどで着くはずの峠に1時間以上たっても着かない。コースをはずれて遠回りしてしまったのではないだろうか。もと来た道にもどるか進むべきか。コースアウトしたとしても海岸沿いに行けばコースに復帰できるはずでどちらかを選択しなければならない。スピードを上げて海岸沿いの道を走った。行けども行けども見たことのない島影が見える。立ち止まってコース図をヘッドライトで見た。家もまったくなくなったので、道も聞けない。
やがて道が広くなり街中に入った。道路は拡張工事をしたらしく見覚えがなかったが、バス停がありベンチでランナーが寝ている。バス停の表示もコース図通りであった。ずっと先にランナーの赤いライトが点滅していた。走ったり止まったりでこの区間はいつもの倍の2時間もかかっていた。平坦なところで1時間に5kmしか進まなかった。
2)靴下が合わなかった
足裏にショックがかからないように厚い靴下をはいたことも失敗だった。右足の足裏に裏地の縫い目があたり肉刺が縫い目状にできていた。予備の靴下をリュックに入れておこうと次回の対策を考えたりした。
3)完走に執着しすぎた
273kmとこれまで最長距離に臨むに当たり気負いすぎていた。昨年のプレ大会では完走者わずかに2人。今回の参加者もすごい顔ぶれのなかで完走できたらどんなに素晴らしいことだろうと思っていた。事前に区間ごとのペース配分を計算していたために、残り60kmの高低差のきついところを知っていることが裏目になった。また、明るくなったら調子も戻ることもあったかもしれない。完走にこだわらず残りの景色とエイドを苦しみかつ楽しみながら、関門に引っかかるまで進むべきではなかったかと反省している。
キキキキキキキ
朝7時に福岡のホテルをチェックアウト。博多駅でこの3月まで5年間住んだ福岡で大変お世話になった福岡の走友会の会長Uさんにばったり会った。仲間の人たちとこれから岐阜に向かうとのこと。つい先日は東日本大震災支援の合唱に行かれていたはずだが。特急「かもめ」で長崎には10時ちょっと前に着いた。ちょうどおくんちでスタート地点の付近は多くの屋台と人がいてにぎやかだった。舟形の山車を見ることができた。
10時から20時まで実力に応じてのウェーブスタートで第二グループの12時でスタートした。9名だった。今回のW部門は総勢28名が出走したがスタートのハンディは20時スタートの人には厳しかったようで、萩往還のWエントリーした人やUTMB完走者でもリタイアするほど厳しいレースとなった。
24時までは約80km進んで予定より早く樺島灯台に着いたのだったが。
7km稲佐山山頂展望台CP
前半173kmの休憩所小浜には予定より1時間半ほど遅れて到着。休憩して民宿の温泉に入り30分ほど仮眠した。通常は2日目の夜から出る幻覚症状が早くも出てきた。道路の白線のひび割れたブロックの一つ一つがアニメの顔のように見えた。権現岬の坂道を歩いていると道端に虎が寝転んでいるように見えたがよく見るとほうき草のような塊だった…
45km女神大橋
この日は24時間走ることができるのだが、110kmしか進めなかった。休憩時間を長くとりすぎたのとこの日最低でも120kmは進んでおきたかったのだが。
150km諫早ジャガイモ畑付近
原城(後半100kmの30km地点)に着く前から100km部門のランナーに次々と追い越された。右足裏が痛いのは厚手のソックスの裏の縫い目があたって肉刺ができたようで、これがひとつの失敗だった。また前回より6時間後のスタートで見える景色が違ったのと月明かりがあり、ミスコースしたと勘違いが3回あった。前後のランナーがまったくいずペースを上げたり立ち止まったりした。原城までのベストタイムは3時間そこそこだったのにリスタートしてから最初のCP20kmに4時間もかかってしまった。おおむね平坦なリスタート後50kmで1時間に5km進めないのではとても眉山と雲仙の急坂は登れないと判断し原城でリタイアを決めた後次のエイドまでの10kmをほとんど歩いてしまった。
リタイアを告げてから堂崎エイドで大会スタッフの車に乗せてもらい島原のエイドに向かった。100kmの部のランナーも続々走っていた。その背中を見ながら早々とリタイアしたことが申し訳ないと思った。少ないスタッフに暗いうちから迷惑をかけてしまった。島原城についたが着替えはすでにゴールに向かっているとのことで、エイドですすめられた具雑煮をいただき、またまたゴールまで自分たった一人のために車で送ってもらった。
エイドとボランティアのスタッフの方たちには大変お世話になり、またそのすばらしい運営に感心した。
次回大会は2013年に決まったが、噂では完走メダルにはすでに個人名がかかれていて年度はないそうなので、取り返しに行くかどうか迷うところである。
抜けなかったチェックシート
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